島原鉄道 南目線の思い出 《キハ26・55の力走》

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 2 дек 2024

Комментарии • 4

  • @猫猫-h1f
    @猫猫-h1f 4 года назад +4

    この車両は、国鉄時代に諫早から急行出島に連結され博多まで直通乗り入れ用車両として製造された。
    台車の構造を見て解るとおり、国鉄本線での高速走行を目的としており、
    キハ80系に履かせてる台車構造が採用され、冷房設備が装備されていた。

  • @sora3398
    @sora3398 9 месяцев назад

    私は有家町の出身で、3年間南目線で島高生として、島工生及び島商生等と一緒に通いました。
    故郷を離れて既に47年を数えますが、決して楽観出来経営環境では在りますが衷心より島鉄(北目線)の存続を願っています。
    少子化は今後も続きます、島原半島三市の合併(名称は『島原半島市』が良いかも🤔)は必然と考えます、今から島鉄を観光資源と位置づけて有効活用策の推進をお願い致します🙏

  • @class40261
    @class40261 5 лет назад +1

    今は亡き祖父と廃線前に乗りました

  • @ゴーリー1968
    @ゴーリー1968 4 года назад

    キハ26・55は、昔JR九州と島原鉄道が、改札口を共用していた、
    諫早駅から神代駅「当時は神代町駅」までの区間を、乗車したことがあります。
    神代駅には、島原鉄道から業務委託された、駅員さんが居て、乗車切符🎫を、
    販売してました。「2000年頃に、神代駅は無人化されました。」